Hiroshi Awatsuji
日本のテキスタイルが紋様や意匠という発想に絞られていた時代の中、大胆な柄や色彩の作品を次々に発表し、日本のテキスタイルデザインを世界的な水準に押し上げる上で大きな役割を果たしました。 また自らのデザインを表層のデザイン=サーフェスデザインと捉え、 テキスタイルデザインにとどまらず、食器や家具、空間に対しても 独創的なデザイン感覚を発揮しました。
Photograph:Mitsumasa Fujitsuka
粟辻 博 略歴
1929年 | 0才 | 京都市西陣に生まれる。 |
1946年 | 17才 | 京都市立美術専門学校(現・京都市立芸術大学)図案科に入学する。 同期に田中一光、緒方規矩子ら。 |
1950年 | 20才 | 京都市立美術専門学校を卒業する。 鐘淵紡績(カネボウ)意匠課に入社。53年までテキスタイルデザインを担当する。 |
1953年 | 24才 | 鐘淵紡績を退職し、東京都に移住する。 |
1954年 | 25才 | 第39回二科展に初入選、《港と女》を出品する。 |
1958年 | 29才 | フリーとなり、デザインスタジオを設立する。 |
1960年 | 31才 | テキスタイルの自主生産を開始し、松屋グッドデザインコーナーにおいて販売する。 |
1963年 | 34才 | 最初の個展「粟辻博=オリジナル〈カーテン〉」展を東京の丸善画廊で開催。 この年富士栄良治氏と出会い、(株)フジエテキスタイルのデザインを担当する。 |
1968年 | 39才 | プライベート・ショールームをデザイン室に開設する。 「エウロ・ドムス」展(トリノ)に出品する。 日本デザインコミッティーのメンバーになる。 |
1969年 | 40才 | 個展「テキスタイルプリント展」を東京の銀座松屋デザインギャラリーで開く。 個展「テキスタイルスカルプチャー展」を大阪の今橋画廊で開く。 |
1970年 | 41才 | 日本万国博覧会において、政府館のカーペット・デザイン、OECD館のカーテン・デザインを担当する。 |
1972年 | 42才 | 第17回毎日産業デザイン賞準賞を受賞する。 新宿京王プラザホテルのエントランスロビー、レストランのタピストリーなどをデザインする。 銀座東急ホテルのカクテルラウンジのタピストリーをデザインする。 東京、プラザ・ディックにて最初の「粟辻博 + フジエテキスタイル」展を開く。 以降、1985年まで数回に渡り定期的に開催し、作品を発表する。 |
1972年 | 43才 | 日本インテリアデザイナー協会協会賞を受賞する。 琉球東急ホテルのラウンジのタピストリー、ゲストルームのカーテンとベッドカバーをデザインする。 |
1973年 | 44才 | 表参道にフジエテキスタイルの新しいショップ「ハートアート」がオープンする。 |
1974年 | 45才 | ナショナル・コントラクト・プロダクト・コンペティション(アメリカ)で第一席を受賞する。 |
1975年 | 46才 | 沖縄海洋博覧会におけるアクアポリス内のタピストリーデザインを担当する。 |
1976年 | 47才 | 個展「ワンデイ・ワンショー」(東京デザイナーズスペース) |
1978年 | 49才 | 「粟辻博の世界 プリント・テキスタイル」展(H.B.C.ギャラリー、札幌) 第3回テキスタイル・トリエンナーレ展 (ウッジ、ポーランド)にて「タナバタ」が銀賞を受賞。 NHKテレビ文化シリーズ「現代の美をつくる – 色彩でつくるインテリア 粟辻博」に出演する。 |
1979年 | 50才 | 「粟辻博テキスタイルデザイン展」(東京デザイナーズスペースオープンギャラリー、東京) アスペン国際デザイン会議のためにバナーをデザインする。 |
1980年 | 51才 | 「粟辻博 プリント・ワーク展」 「ジャパンスタイル」展(ヴィクトリア&アルバート美術館、ロンドン)に出品する。 「ファイバーアート」展(メトロポリタン美術館、マニラ)に出品する。 |
1982年 | 53才 | IBM(川崎)の食堂のタピストリーをデザインする。 吉祥寺東急インの宴会場のカーペットデザイン、ロビーのタピストリーとカーペットデザインを手がける。 |
1983年 | 54才 | 「1945年以後のデザイン」展(フィラデルフィア美術館)に「ジテンシャ」他を出品する。 |
1984年 | 55才 | 「ハイム・テキスタイル」(メッセゲレンデ、フランクフルト)に〜89年まで毎年参加する。 大正海上本社ビル(東京)のレセプションホールのタピストリーをデザインする。 「日本のデザイン – 伝統と現代」(ソビエト連邦美術家同盟中央会館、モスクワ)に出品する。 「ロッジ三井の森」(蓼科高原)のロビーのタピストリーをデザインする。 「80年代のテキスタイル」展(ロードアイランドデザインスクール美術館、ニューヨーク)に出品する。 |
1985年 | 56才 | 府中市民保養所やちほ(八千穂村、長野)のタピストリーをデザインする。 私学会館(東京)ロビーのタピストリーをデザインする。 多摩美術大学の特別講師に就任する。 |
1986年 | 57才 | 高松市綜合体育館の緞帳をデザインする。 |
1987年 | 58才 | 広島ターミナルホテルのロビーのタピストリーをデザインする。 積水化学工業筑波研究所ロビーのタピストリーをデザインする。 |
1988年 | 59才 | 住友海上本社ビル(東京)食堂壁面をデザインする。 個展「粟辻博のテキスタイル 自立した表層」(ギャラリー・間、東京) 原宿のアトリエにデザインハウス・アワを開き、テキスタイルと皿などを発表する。 多摩美術大学教授に就任する。 |
1989年 | 60才 | 東陶機器(TOTO)の内装用タイルをデザインする。 シュトゥットガルトデザインセンター、89年度ベストセレクションに選定される。 国立装飾美術館(ミュンヘン、ドイツ)が作品をコレクションに加える。 個展「粟辻博 サーフェスデザイン展」(有楽町西武、東京) |
1990年 | 61才 | 『粟辻博のテキスタイルデザイン』(講談社)を刊行する。構成は田中一光、写真は藤塚光政。 ヴァージニア美術館(アメリカ)が作品をコレクションに加える。 |
1991年 | 62才 | クーパー・ヒューイット美術館(アメリカ)が作品をコレクションに加える。 ARCO TOWER(東京)のタピストリーをデザインする。 目黒雅叙園のサーフェスデザインを担当する。 |
1992年 | 63才 | 「IDアニューアルデザインレビュー」のサーフェス部門で金賞を受賞。 国際テキスタイルコンペティションで佳作賞を受賞する。 |
1993年 | 64才 | モントリオール装飾美術館(カナダ)が作品をコレクションに加える。 |
1994年 | 65才 | すみだトリフォニーホールの壁画制作を始める。 多摩美術大学染織デザイン科科長に就任する。 |
1995年 | 66才 | 資生堂デザインフォーラムで最後の講演を行う。 第22回国井喜太郎産業工芸賞を受賞する。 肝不全のため死去する。 |
没後の記録
1996年 | フィラデルフィア美術館(アメリカ)が作品をコレクションに加える。 「粟辻博のテキスタイル」展(松屋銀座デザインギャラリー1953) |
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1997年 | すみだトリフォニーホールの壁画2点が完成する。 | |
2000年 | 「粟辻博展 – 色彩と空間のテキスタイル」が京都国立近代美術館、目黒区美術館で開催される。 | |
2012年 | 「粟辻博のテキスタイルデザイン」展(オリエンタルデザインギャラリー、広島) | |
2021年 | 「粟辻博のテキスタイル」展(松屋銀座デザインギャラリー1953) |